1.日本看護連盟(1959年~)の誕生と代表議員の業績

 昭和21年(1946年)に「日本看護協会」が設立された。翌年、看護職の代表の井上なつゑ氏(初代看護協会長)が第1回参議院議員選挙にて当選したが、その後、第5回まで候補者の擁立がない、又落選が続いた。昭和34年(1959年)に看護協会の目的を達成するための団体として「日本看護連盟」が設立された。看護職の代表を国政の場に送り、看護協会と連盟が一体となり、組織的な支援をしていくことを決定し、「友情」「信頼」「団結」を誓った。

 第6回参議院選挙では林塩氏が当選、第7回は石本茂氏が当選し、看護職が2議席となる。第8回の選挙は石本茂氏と林塩氏が共倒れとなった。法律制度や改正に携わるには与党でなければならないとして、石本茂氏が自由民主党に入党し第9回参議院選挙で当選した。石本茂議員の尽力で、自由民主党に「看護技術者対策議員連盟」が発足し、衆参議員157名が登録した。

昭和62年(1987年)、日本看護連盟通常総会にて、規約の一部改正で日本看護協会長が日本看護連盟会長と兼務可能となり、会長に大森文子氏が就任した。

 法律の制定に関しては「看護婦等人材確保法」施行、夜勤手当の増額、「保健婦助産婦看護婦法一部改正」により男子の保健士の誕生、看護職員の名称が「師」に統一された等、看護職に国会議員が関係する看護問題の解決や政策決定の場での活躍は目覚ましいものを見た。

 

2.日本看護連盟岐阜県支部の誕生とあゆみ

 昭和35年(1960年)、岐阜県において「日本看護連盟岐阜県支部」を結成し、初代支部長に平野幸氏が就任し、18年間の長きに渡り支部長の任を果たされた。

 昭和53年(1978年)、岐阜県支部の初回の会費が300円に設定された。昭和54年(1979年)より、岐阜県支部通常総会が開催された。昭和56年まで1名の役員で活動していたが、事務所移転後は役員も4名となり組織化され活動できるようになった。昭和57年(1982年)、地区長に12名が任命され、さらに活動実績が広がった。

 平成11年(1999年)、岐阜県の美濃市議会議員選挙で市原鶴枝氏が初の看護職として当選し、3期12年間活躍された。そのことで岐阜県の県議会や市議会においての看護職の発言権の拡大に大きく貢献していただいた。

 平成12年(2000年)には「支部だより」1号を発刊し、看護連盟の啓発活動が始まった。平成14年(2002年)より、連盟会員が国会や政治をより身近に感じられる活動「国会見学研修会」が始まった。

 平成16年(2004年)、岐阜県支部研修会において「リフォーム連盟」に向けて会員の意識改革を図った。。

 

3.リフォーム連盟スタートによる「岐阜県看護連盟」改称と活動

 平成17年(2005年)、日本看護連盟通常総会において「リフォーム連盟」がスタートした。規約改正にて、都道府県看護連盟の支部長を会長に改名。その下に新たな支部を設置することが可決された。ここに「岐阜県看護連盟」が誕生した。「リフォーム連盟」によりその後の岐阜県看護連盟の活動は躍進した。「リフォーム連盟」は5つの柱で組織・事業を見直した。「岐阜県看護連盟」に、9支部(岐阜・伊奈波・羽島・大垣・中濃・郡上・多治見・恵那・飛騨)を設置した。その年、県研修会は10回、支部研修会は9回と大幅に増加した。「支部だより」から「連盟岐阜だより」に名称変更し、翌年「れんめい岐阜」に再度名称を変更した。

 平成20年(2008年)に「岐阜県ポリナビ」が発足し、翌年より「ポリナビワークショップ」、平成26年(2014年)には「第8回ポリナビワークショップ」を開催した。平成22年(2010年)には「青年部会」と改称し、青年部の発足で若い世代の看護連盟や政治の関心が醸成してきた。平成22年(2010年)に初回の看護現場の夜間視察を、国会議員ならびに県会議員を含めて実施した。

 

 

【参考資料】1.HAND BOOK.日本看護連盟  2.55年の歩み.日本看護連盟.平成26年6月3日  3.岐阜県看護連盟創立45周年のあゆみ.平成18年  4.岐阜県看護連盟通常総会冊子 平成18~27年度

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